脱力物語

寝つきが悪いので、睡眠を邪魔する思考をつらつら書いてスッキリして寝るために始めました。現代社会に適応出来なかったカス野郎です笑 思ったこと、感じたこと、考えたことなどを書いています。

人間なんて...

   酒をのみながらタバコを吸う。電気ブランという40℃のリキュールをのみながらハイライトメンソールを吸う。音楽を聴きながら。ログハウスの屋根裏部屋で。金勾配の三角の天井をぼーっと眺めながら。スピーカーで、心地よい音量で。だをこが人間なんて肉の塊って囁いた。「渇き」何年か前に無性に映画を見たくなって、たまたまやってた「渇き」を見た。独特な雰囲気の映画だった。

   人間なんて肉の塊。この表現は「渇き」という映画の中の世界観にぴったりな表現だと思う。しかし、現実の世界ではどうだろうか。人間ではなく人だったら間違いではないと思う。人と人間は微妙なところでだいぶ違う表現だと思う。イメージとして。人間の本質は言葉にあると思う。言葉でイメージを共有する共有の部分が人間なのだと思う。うまくは言えないが。PCに例えるとうまく言えそうだ。PCの本質は見た目の箱の形やデザインではなく、中身のソフトにあると思う。もっと言えばインターネットで他の箱と繋がっているところに本質的な何かがある。人間とPC、イメージの共有とインターネット。言葉のイメージとして人はネットに繋がっていないPC、人間はネットに繋がっていて絶えず更新されるPC。人間なんて肉の塊というフレーズはPCなんてただの箱と言っているに等しい気がする。ただの箱ではない。他の箱と情報をやり取りできる箱だ。

  と、こんな感じで、私はちゃんと人間をやれているのだろうか。少し不安になってきた。目が冴えてきた。たとえネットに繋がっていても、更新されているのだろうか。新たなアプリを入れたり、更新したり、、、。ここまで読んだあなたはどうだろうか?

   更新していないせいで、せっかく持っているアプリがうまく動かなくなることもある。その現象はジェネレーションギャップみたいなものか。あくまで例えばの話であるが。

 

   人間はPCよりも複雑なのか、単純なのか。その答えは私の中にはまだない。というか、どうでも良い。色々なプログラムをいっぺんに開いたままにしておくと重くなったり、シャットダウンに時間がかかったりと、いいことは無い。寝そびれた。

 

 

 

   人間。人間はPCではない。PCを操るのが人間だ。せっかく人間に生まれてきたのなら、PCのように操られ、アプリを入れられ、ソフトを更新され、いいように使われるよりかは、自分ですすんで興味関心事のある物事に手足を踏み入れていったほうがより人間っぽい人間になれると思う。受動的、能動的。人から与えられた仕事であっても、それを受け身で言われた通りにするのか、能動的な気持ちでアイデアを提案しながら相互に納得のいくものを作り上げていくのか。両者には大きな違いがある。前者はPCやロボットで十分だ。後者はPCやロボットよりも人間の方が優れている。なぜならPCよりも人間の方が多様性があるからだ。様々な考えを持つ人間の方が、データの蓄積に過ぎないPCよりも優れていると思う。さらに人間にはイレギュラーや、ランダムな要素がある。気持ちや気分といったところだろうか。時には失敗もする。ヒューマンエラーだ。PCは失敗はしない。PCの失敗はそのソフトを作った人の失敗であり、そのソフトの失敗ではない。ミスを活かせるのが人間であり、PCはミスに気づかない。

    人間関係は難しい。合う合わないがある。誰とでもうまくやっていけるという人はいない。もしいたら、その人はエスパーか、エイリアンか、PCが搭載されたロボットか、人知を超えた人である。ただ、合う合わないという感覚を持てているということはとっても人間らしいことである。

     人間。今、私が人間として生きているということは果たして何を意味しているのだろうか。なぜ人間に生まれてきたのか。何かの試練なのか、何かの罰なのか、輪廻?魂の成長?よくわからん。むしろ意味なんて無いのかもしれない。世界を傍観し、観察し、観測し、うだうだ考えてねむれなくなり、。人間も楽じゃない。

   楽して生きたい人にとっては今の時代はとっても良い時代だ。自分の身の回りに金が集まってくるシステムをうまく構築することができれば、あとは何もしなくとも金が勝手に集まってくる。金があれば飢えることはない。

   

    どういうスタンスで生きていくのか。あなたはどういうスタンスで生きていますか?